高校生活を振り返って。
第一回:情報処理同好会。

ということで今回はもとからついに廃部が決定した、わが愛する同好会についてすこし思いを走らせましょう。
ちなみに僕ら情報処理同好会は会長の佑、補佐の私(カーネル)、そしてなぞのキャプテン(現・P)です。

 そもそも情報処理同好会は顧問のI田先生がPC室設立時に始めたものらしいです。
うちの高校は市立のくせして比較的早めにPCの導入を開始した為、
比較的早めにPC室を作ることに成功したらしいんですよ、聞いたところによると。
 とにかくそんな感じでスタートした情報処理同好会は最初は良かったのですが、
さすがに他の同好会に比べマイナー観がいなめないということで細々とやっていたそうです。
 そこに現・情報処理同好会会長の佑が入会します。
 しかし勢いよくはいったはいいもののとくにパソコンが得意ではなく、
しかもほんとうの入部理由が「さすがにどこか入らないと駄目かな・・・・・・」
なんていう中途半端な理由な佑に同好会活動を続けることはできなかったようです。
 ちなみに裏情報ですがじつは僕ら三人以外にもう一人女子生徒が入っていたそうです。
が、一回しかこなかった為I田先生も顔も名前も覚えていないそうです。
・・・・・・入会者が入るということは・・・・・・一応は同好会なんですね。
 さて、話を戻しましょう。
 そんな静かな同好会に嵐がきます。そう、私、カーネルの入会です。
ちなみに最初はそんな気はまったくなく、普通以上に弓道の腕を磨く一人の弓道部員でした。
ことの発端は一年の後期の委員会決めの時でした.
一年次の担任、O先生は現在退職して今はカウンセリングのお仕事をなさっている人です。
しかし、この先生、結構「地で」・・・・・・ボケるんです。しかもちょっと重要な時に。
で、何とこの委員会決めの時に「ボケ」ました。
なんと本来募集しないはずの放送委員の募集をしたのです。
まあ、この話は「放送委員カーネル誕生!!の巻」の時に詳しく話しましょう(いつ?)
で、なんだかんだで入ることに決まったんです。きまったはいいものの、
普通の委員会と違う放送委員が委員会を開くことはなく。やることがないままときは流れていました。
 さて、話は飛んで一年の進路決定のプリントの提出が迫っているある日。
私は進路指導室に資料を探しにいきました。
その時I田先生と出会いました。放送委員会の顧問ということもあり、
また人と話し始めると止まらない性質を持つ私は
先生とPCのことについて話していました。
その時、I田先生がこんなこといいました。
I田先生:「僕が顧問で情報処理愛好会という物をやってるんだよ。」
カーネル:「え?なにやってるんですか?」
I先:「うん、ビジュアルベーシックというソフトと使ってプログラミングをしているんだよ。今度来る?」
 このとき結構寒くなっていて弓道部のほうが結構やりにくいときだったので
カ:「ええ・・・じゃあ、今度いきますよ。」
この時、情報処理同好会会員カーネル・Sが誕生したのです。
このときはいっていなければ何もなかったでしょう。
こんな訳で私はPC室と関わり合いができたわけです。
とはいってもPC室は今のような自由な状態ではなく生徒の移動は一切禁止、また、授業で使うことすらないという生徒には関係ない開かずの教室でした。
またインターネット環境などなく、ただたんにPC(WIN98)が入っているだけの状態でした。
他に今と違う点は、まず今はPC同士がネットワークを組んでいて繋がっていますが、
その当時はまったく繋がっていませんでした。プリンターとの接続は一応すべて繋がってはいましたが。
ちなみにいまも変わっていませんが、当時そのPCは二代ほど型落ちだったりします。
その状態のPC室で、I田先生は数台にビジュアルベーシックというソフトを入れ、
同好会員介入を待っていたのです。
 さて、その後の会話先生からで衝撃の事実を聞かされます。
I先:「そういえばカーネル君と同じクラスの男子がうちの会に入っていたなぁ」
カ:「ええ?!誰です、それは?」
I先:「ええっと・・・・・・たしか・・・・・・佑とかいったかな。」
カ:「ええ!!!」
 そりゃおどろきますよ。確かに佑が運動部のどこかにはいったとは聞かされてはいませんでしたが、
まさかこの同好会に入っていたとは・・・・・・それにどこからどう見てもPCが得意そうには見えないからです。
(いや、確かに初対面の人は得意そうに見えるという人もいるでしょうが、もう数ヶ月たっていましたから)
何はともあれ情報処理同好会員として佑と私がであった(一方的に、だが」瞬間であった。

 さて、こんなことで誕生した現・情報処理同好会ですが、
さいしょはちゃんとプログラミングをやっていた時期があるのです。
今の同好会を見ている人には信じられないことでしょうが。
ですが、佑はもともと本気ではなく、私に引きずられてやっていた状態で、
また私も弓道部の方が忙しくなってしまい、PC室にいかなくなってしまいました。

 さて、そんな感じで情報処理同好会はいつのまにか自然消失するかと思っていたある日、
その日もI田先生進路指導室ではなしていました。
(あの日を境に、用もないのに進路指導室にいってI田先生と話すようになったのです)
そこでまた、I田先生から衝撃の言葉が。
I田先生「ああ、そういや、PC室にADSLが入るよ。」
カ:「ええ?じゃあ、あそこでインターネットができるようになるんですか?」
I先:「うん、その予定。そしたらやってみるかい?」
おりしくもその時また冬が近づいてきていて弓道部活動がきつくなっていた時でした
(もう一年も経ってるんですねぇ)。
「ええ。、もちろんです」
・・・・・・このとき、現・情報処理同好会の原形ができたのです。

 で、何度も業者にドタキャンされたりしながらもインターネット回線が繋がりました。
(ちなみに最初の予定より三ヶ月ほど遅れて完成でした。おのれ富○通!!)

 で、ついにインターネットを繋ぐ私。始めてやる時は何といってもたのしかったですね。
それはやっぱり学校でやったということだけではなく、
家のISDNとはレベルが違う速さにびっくりしていました。
まあ、そんなわけで最初は先生の指導下でPCを触っていました。
また試行錯誤なためちょっとしたことで不安定になったり、
ちょっとこわれたから治そうと思ったらだれもやり方を知らないという状況でした。
今思うと笑うようなこととかですね。
 一番多かったのはルーターが不安定でまったくログインすらできないということでした。
普通なら自分のIDを入力するとサーバー上のそのID専用のHDディスクにアクセスできるようになります。
また、ログインキャンセルすることも可能なのですが、
その場合、記録を残すことができないのでちょっと大変でした。
インターネットがつながってからじつはPC一台一台がスイッチを消すとHDの変更が
自動的にリセットされるという設定になっていました。これはもし生徒が勝手に設定を変えたり、
ゲームを入れたりした時に毎回毎回設定変更しなくていい様に設定したものらしいです。
この設定の為、もし何かを残そうとしても何も残らないということになってしまいます。
まあ、この設定のおかげで好き勝手やってもなにものこらないということに繋がりましたが。
 で、もんだいなのはルーターが熱でやられてしまう、ということです。
これをやるとログインはできない、ログインキャンセルをしてもインターネットに繋げないというものです。
そうなるとPC室にあるPCと言うものは何も入っていない(毎回毎回消える為何も入れていない)
買ってきたばかりのPCより使えないものになってしまいます。
こんな時、僕らはしょうがないので素直に帰ることになっています。
(ちなみに途中から直し方が判明した為、とくに問題なくなりましたが)
 また、ほかにも問題がありましたが、今では何の問題もなく、普通に授業に使われるほどになりました。
しかし・・・・・・良く考えたら僕らはテストをしていたということになりますよね。
まあ、当時はあまりそんなに自由度がなかった為そんなことは思ってもいませんでしたが。
 そのご、インターネットがある環境ということでこのHPを作成したのです。
ちなみに最初は「WHAT'S NEW」「カーネルの日記」「BBS」「情報処理同好会」しかありませんでした。
また、一番最初は(裏)ではなく「情報処理に明日はあるのか!?(仮)」、つまり表の方でした。
表のHPはこのHPを僕専用にする為に作ったコピーサイトです。
作った時期は三月半ですが、元々HPの目的は「新入生に向けてのデモンストレーション」です。
その場合「公式サイト」を作る必要があったのです。
ですが、もしそのHPを公式サイトとしてしまうとその当時来ていた僕の友達とかが来れなくなるか、
普通に世間話などをし難くなるという状況になるので、苦肉の策として裏と表に分けたのです。
・・・・・・まあ、表の方はもはや止まっているし、YAHOOで「情報処理に明日はあるのか!?」で
検索したら両方とも出てきますけどね(笑)

 さて。情報処理の話はもう終わりにしましょうか。なんていうか・・・よくかんがえたら、
情報処理同好会としての活動は上半分ぐらいしかやってませんですから。
というか、じつはそんなにやっていないのが事実なんですよ(曝)
ですが、皆さんにわかって欲しいのは僕が情報処理同好会にはいったのは
PC室という場所を得る為ではなく、普通にPCスキルレベルをあげることにあったのです。

 で、何が言いたいかというと・・・・・・情報処理同好会は楽しかったです。

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