高校生活を振り返って。
第三回:弓の道 その弐

 ということで、弓道編も二回目になってしまいました。まあ、もう終わりますから許して。

 さて、前回は二年生になりました。話は一年生が入ったところからスタート。

 入りました、一年生。というか新入生ですね。僕はどうやら下級生と仲良くなるのが早いらしく
さっさと教える側に移っていました。

 教える側、それは重要なものです。
何故かというと、なんでもそうですが、さいしょに教えたものというのはなかなか抜けません。
ということは最初にちゃんと教われば上達が早いですし、
最初に悪い教われ方をすると修正に時間がかかり、上達が遅くなってしまいます。

 そんなわけで、かなり慎重に教えていました。
それは男女関係なくかなり厳しいものに見えたでしょう(周りから見れば)。
しかしそれは弓道部の次世代の為、一年生一人一人の為です。

 しかし、その行動が周りの反感を買ってしまいました。

 僕の教えは小笠原弓道術で習ったものを参考に自分的に弓道連盟の教えと照らし合わせ、
新入生にわかりやすく、かつ弓道連盟の段などにも対応するもの、というものでした。

 しかし、それはどこまでいっても小笠原流なのです。決して学校の弓道部の教えとは別のものなのです。

 しかもうちの弓道部は戸田スポーツセンターの弓友会の教えを教わっていたのです。
N先生が講師としてきているのに。(要は部員はあまりN先生を歓迎していなかったということです)

 そして、ついに時は来てしまいました。

 「カーネル。」
 「なんですか、先輩」
 「おまえさ、どこの教えをしているんだ?」
 「え?なんでです・・・・・・?」
 「ここはな、うちの高校の弓道部の教えを教えているんだ。」
 「・・・・・・はぁ・・・・・」
 「どこの教えかはしらんが、とりあえず女子には教えないでくれ。
  男子は任せるが・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・わかりました。」

 そう、僕は先輩からこう言われてしまいました。

 正直思ったことは「なにが教えなのだろう。ここには統一した教えなんかないのに……」

 ですが、先輩のいったことをそう簡単に破る訳にはいきません。

 たしかに後輩からは「カーネル先輩の教え方はちょっと他の先輩とは違う」というのは聞いていました。
ですが、それは他の人と同じにする必要はないし、はっきり言ってレベルの低いことに
あわせる必要はないと思ったから自分の教えを突き通したのです。

 それが逆に反感を買ったのでしょう。

 とにかく、僕は教えることを禁止されました。
男子は僕が教えつづけたのですが、女子は他の女子とかが教えるようになりました。

 まあ、一週間もすれば元の形(僕が教える)というものにはなったのですが、
(女子が教えなくなったりしたので)やはり先輩の言葉は耳に残りました。

 そんなわけで、時はすぎます。

 先輩が6月をもって引退しました。

 先輩方がいなくなっても僕にとっては別に何も変わることなく練習を続けました。

 ところがこの頃から引っ越しのバイトを始めたりして段々休日の練習に出なくなっていきました。

 また、この時、いろいろあって、夜遅くまで練習しなくなってしまいました。
(とはいっても市民体育館には通っていましたが)

 ・・・・・・あたる確立が8割行っても大会の成績はまったくいいものが出ませんでした。

 自分は自分を過信しすぎていました。

 この頃高校の中では確実にトップにいたとおもいます。
 しかし、それは自分の高校の中での話。

 やはり公にでるとやはり練習の足りないということになってしまいます。

 ところが、自分の中でマンネリが始まってしまいました。
 それは高校の中に目標がなくなってしまったことや、
 大会に魅力を感じなくなってしまったり、色々理由はあります。

 今考えると井の中の蛙でしかなかったのですが
自分の周りに目標がいないと僕は簡単に折れてしまったのです。

 そんな感じで僕の弓道部での日々はすぎていきました。

 しかし、小笠原の僕は別です。

 11月3日の文化の日、僕は明治神宮の百手式という演舞式にでたりしました。
おなじく1月15日の成人の日も出ました。

 また月一回の納会にも積極的に出たり、他の小笠原のイベントにはほぼ全て出ていました。

 それは今もそのままです。受験関係無しに小笠原のイベントには出ています。

 しかし、小笠原は当てる流派ではなく演舞が基本。
あたるのが当然、あたらなくてもそのときはしょうがない、というのが基本なんです。

 そんなこともあり、僕は段々数をうたなくなって、あたりもかなり減っていきました。

 この頃にPC室にインターネットが繋がったのです。

 僕は面白い方に傾いてしまいました。

 そんな訳で弓道部の話は終わってしまいます。

 残りは話してもしょうがないです。好き勝手やって自分に過信して自滅していきました。

 今もし高校生活をやり直せるとしたら、遅刻をへらすとか

 大学用に成績をとるとかではなく、ただ一心不乱に弓道部に行きたいです。

 僕は全国に出れる環境に居ながら自分に負けました。

 全国に出れる環境。それはつまり自分を鍛える場所がある、ということ。

 自分を鍛える場所がありながら自分を鍛えることを辞めてしまった僕。

 僕がもし本気になれば普通に全国に出れました。

 それが一生の心の傷になるでしょう。

 

 そんなところで話を終わろうと思います。

 弓道部は僕にとって最高の部活でした。

 後悔するとしたら僕の行動。

 これではK先生(柔道部の顧問)にも申し訳ないです。

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