高校生活を振返って
修学旅行編 序章
〜初めての体験〜

 というわけで、やっと出発です。

ハワイがグランド・ゼロ事件により中止になってしまい、

仕方なく沖縄という事になりました。

しかし、されど沖縄。しかも修学旅行ですから、楽しみなのは仕方ない事。

前日までに準備をすまし、あとは明日を待つのみ、という状態になりました。

さ、早めに寝ないと。朝早いんだから。



12/14

 5:30起床。というのも8時までに羽田空港に行かなくてはいけないから。

実は僕は飛行機が初めて

そもそも本州から離れた事がありません(お台場除く)。

というわけで人一番緊張しているのです。

すこし早めに起きて、四泊五日の旅へ出かけました。親は寝てました

 羽田空港に着いたのは7:20。結構早めに着きました。

普段遅れてばかりの僕もこういうときだけものすごく行動が早いです。

ですが、結構な人がもうすでにきてました。

友達と合流し、点呼も完了。

搭乗券をもらい、ゲートへ。


ちなみにこれが搭乗券の半券。

そして、53B席へ。緊張する。

8:50、飛行機が滑走路へ。

落ちる」「離陸失敗」「着陸失敗」そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

そして、離陸。

重力に逆らい、斜めになりました。

わああ!」飛行機の中も大騒ぎ。他のお客さんには迷惑だったろうな。

でも小学生じゃないんだから……大騒ぎしなくても…



とりあえず到着。

落ちもしませんでしたし、離陸も着陸も失敗しませんでした。

ゲートを出ると、なんと「ようこそ沖縄へ U南高校御一行様」の旗が。

なんと沖縄を上げて僕らの学校を歓迎しているらしい。

マスコミ関係も結構いました。

(当時沖縄に修学旅行を予定していた学校も「飛行機が危ない」ということで

中止になる事がおおかった。そんななか僕らの学校は沖縄に行ったので結構取り上げられていた)

ミス沖縄もいました。でも顔が良く見えないので良くわかりませんでした。



 空港からでたら、なんとそこには24℃を示す温度計。(注意:当日は12/14)

そうか、本当の12月は20℃を超えるんだ!!と考えましたが、

そんなわけありません。さすが沖縄です。まさか本当に半そででいいとは。

それでも空はすこし曇っていました。

沖縄の人はたぶん北海道に一日で移動したら確実に風邪を引くでしょう。

 このとき、校長と話をしました。

僕はなぜか校長と仲がよかったのです。普通は校長と話なんかしないでしょうに。

カーネル:「校長〜ミス沖縄どうでした?」

校長:「すごいかわいかったよ!!いいねぇ、沖縄の女性って

カーネル:「へぇ…僕近くからはほとんど見れなかったんですよ。残念だね。」

校長:「それは残念だねぇ…もったいない。」

カーネル:「しかし暑いですねぇ。着込んできたのが馬鹿らしいよ。」

校長:「いいじゃん、カーネル君は。僕なんてスーツだよ。」

カーネル:「しかし、こういうところをバイクで走ったら気持ちいいだろうなぁ」

校長:「そうだねぇ。」

カーネル:「あれ、校長ってバイク乗るんですか?」

校長:「うん、昔ね。単車の免許しかないけど。」

カーネル:「いいですねぇ。アメリカンで走りたくないですか?」

校長:「いいねぇ!!久しぶりに乗りたいなぁ。レンタルしてないかなぁ。」

カーネル:「校長先生、一応仕事ですよぉ。」

校長:「それが残念だよねぇ……今度プライベートで来たいねぇ。
    ところでカーネル君はバイク乗ってるの?」

カーネル:「いや、ないんですよ。早く取りたいんですけどね」
(ちなみにこの時点では本当になんの免許もとっていません。)

校長:「そうか、一応立場上、いえないんだけどね。
    早く取ったほうがいいよ!たのしいよ、バイクは!

カーネル:「校長……言ってますけど……」

校長:「ハッハッハッ!!

さすがだよ…校長…

出てきた関東はもちろん寒いので着込んできた僕はすぐ汗びっしょりに

そのままバスに乗る。

するとどうだろう。

バスガイドさんがとても美人でした。

さすが、沖縄だ。やはり、違う。

やはりここでの印象でこれからの「修学旅行に沖縄」というイメージの定着が決まるのでしょう、

バスガイドにも気合が入っているようです>沖縄。

年は26歳。スタイルもよく、かわいらしい人でした。

もちろんガイド能力もすばらしく、更にはすばらしい歌まで披露してくれました。

でもなぜか「19歳です」って名乗ってました。「うをぉぉぉ」とクラス大盛り上がり。

結局最後まで「26歳」とは名乗りませんでした。

26歳だと知ったのは帰ってから担任のおじいちゃんがHRで言ったときです。

しかし、とても綺麗なおねぇさんだということには間違いありません。

バスガイドさんでそのバスの移動中の可否が変わるといっても過言ではありません。

沖縄のバスガイドさんはもしかしたらみなさん最高級なのかもしれません

という事は他のクラスもすばらしいバスガイドの方々が!!

だが、隣のクラスのバスガイドをちら見すると…







 ……ふつうのおばさんでした……

ものすごくラッキーかもしれないぞ、うちのクラス。



 さて、そんなわけで最初の観光名所見学場「糸数壕」に到着。
 
ここは戦時中に使われた壕です。とはいってもただの洞窟。

多くのけが人がこの壕に運び込まれ、治療が出来ずに死んでいきました。

非常にかなしいことです。

でもやっぱり考えてしまうのが





……ここってやっぱり霊がいっぱいいるんだろうなぁ……



僕は霊感という物があまりないのでよくわかりませんが、

もし霊感が強い人だとたぶん近寄りたくも無いでしょうね。

先生方はこのことに考慮しているのでしょうか。よかったね、うちに霊感強い人いなくて

(ちなみに寺の息子であるところのGですが、曰く彼には霊能力は一切無いそうです)

霊感のないぼくですら、寒さではない寒さを感じました。

あれは気のせいだったのでしょうか。たぶん違うんでしょうね…



さて、移動。

そういや、僕のとなりは確かキャプテンでした。

二人ともバスの中で孤立してました。

まあ、それはいいんだけど。

実は席決めのとき親方と座ろうと言い合っていたのですが、

やっぱり危険(というか狭い)のでやめました。

それでもキャプテンは狭そうに座っていましたが。



次、平和公園。

長崎の方の平和公園はあのハトのフンまみれの平和像が有名ですが、

こちらの平和公園は「平和の礎」というものがありました。

これはいわゆる石牌です。残念ながらあまり記憶にないです。

ただ、太陽の日の出の方向にあわせて作ってある道はすばらしかったです。

(日の出のポイントに向かって道が造ってある)

資料館もありました。そこでは主に当時の写真が展示してありました。

無残な死に方をしている子供の写真や怪我をした兵士の写真など。

平和そうに笑っている写真の人たちのほとんどが今生きていません。

彼らは幸せだったのでしょうか。

わらえないまま死んでいったのでしょう。


その後、ひめゆりの塔というところに行きました。

「ひめゆり」というのは「ひめゆり学徒隊」というものの名前です。

補助看護婦として派遣された沖縄模範学校女子部156人、県立第一高等女子高65人で構成された

女性だけの隊です。最後はほぼ壊滅しました。

ちなみに沖縄にはひめゆり隊のほかに鉄血勤皇隊、ずゐせん学徒隊、梯梧学徒隊など

が存在しました。

ここには資料館があって、残っている当時の資料をみることが出来ました。

それは当時の写真や手紙、治療用などの道具、そして生存者の証言です。

残酷な状況の中死んでいった人たち。

戦争の恐ろしさを知っているひとならなおさら戦争を拒否するはず。

それを知らない人だけが戦争を起こすのでしょう。

人間という物は戦争を止めることが出来ないものなのでしょうか。

そして、戦争でしか、本気になれないのでしょうか。なんだか深く考えさせらるものでした。







 そして、沖縄ホテルに到着。(ここからはいつもの調子です)

今日の宿です。この宿では従来の修学旅行型の部屋割り、つまり大人数が大きな部屋に入ります。

クラスの男子が三つの部屋に分けられました。

とはいっても33人いますから一つの部屋に8人ですね。ちょっとおおいです。

夕食後、フリーの外出がありました。

国際通りで買い物ができるのです。

色々制約はありましたが、まあそれほどきつくなかったですね。

19:00〜21:00の間の自由時間。

でも、別に買う物もなかったので部屋にいました。

やっぱりちょっとさみしくなったので、その後、少しだけ出かけました。

 国際通りに出るとうちの生徒でいっぱい。

いままであまり活気が無かったのでしょうか、ここぞとばかりどのみせも声を張り上げ客寄せしていました。

 僕は何をみるでもなく回っていて、最終的にお土産を買って直接家に送ってもらいました。

ちなみに買ったのはお酒(泡盛)、トウフヨウ、その他お菓子ぐらいでしょうか。

ちなみに、おじいちゃん(先生)が時計買ってました、ナノダ先生と。

なんでも壊れただかなくしただか。ま、先生なんだから時間の管理は必要だよね。

 そして、早めに帰ってお風呂。結構すいていました。

恒例の「他人のモノ確認」(男子にはわかると思いますが)もあまり出来ませんでしたね(別にどうでもいい)

 部屋に帰るといやに寂しい。。

不思議に思い他の部屋にいくと、なぜかPS2でウイニングイレブンをやっていて

男子皆で応援してました。女子も普通に応援してましたっけ。

良くわかりません。なんだったんでしょう。

でも僕も応援しましたけど。

 部屋に戻って寝ました。

修学旅行恒例「おい、おまえ誰が好きなんだよ」話もあまりありませんでしたねぇ。

そりゃぁ全員に彼女いないのが確定済み眠かったのでしょう。

ぼくも比較的早めに就寝しました。

 誰も寝言をいうことなく、静かな夜でした。

昔(赤木自然の教室の時)「やめて!小指はやめて!!」っていう謎の寝言

起こされた事もありましたっけ…

二日目は次の回で。

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