高校生活を振返って
修学旅行編 そのA
〜いざ久米島〜

 6時起床。寝不足になりがちな修学旅行の二日目ですが、僕は結構元気。

比較的早めに寝ましたし。

まだ四日もあるんだから今から疲れていては修学旅行をエンジョイできません。

こういうときだけは寝起きがいい、という僕の性質。いつも寝起きがいいといいのに



 朝食を食べ、バスに乗る。

バスに乗ってさっそく寝ている人を発見。昨日余り寝ていないのだろう。

ウイニングイレブンも盛り上がっていたらしいし。

ちなみにバスのドライバー&ガイドさんは昨日と同じ。

午前中の移動だけだというのに来てくれた。非常にありがたい。

ちなみに、ドライバーさんの性は新屋敷さん。

そして、ガイドの人は幸喜さん。どちらも苗字です。

なんか沖縄を感じた瞬間でした。(ちなみに名前は普通でした)

 そんなこんなで佐喜眞美術館に到着。

ここでは事前学習で見た「戦争の絵」という物を見ました。

それは戦後に描かれた沖縄戦の絵です。

米兵が火炎放射器で沖縄の人を焼き、沖縄人が殺されていくという絵です。

もちろん、米兵のほうにも理由があってそういう行動をしたのです。

米兵が全て悪いとはいえません。戦争は上が勝手にやっているものです。

その絵をみて、戦争の恐ろしさを感じない日本人はいないでしょう。

その大きな絵は静かに戦争の恐怖を伝えていました。

 その後美術館の屋上に上がりました。

美術館は普天間基地と密接している為、屋上からは基地を覗く事が出来ました。

当時はグランドゼロの翌年。

基地の中はどうやら警戒態勢にあるみたいですね。

印象に残っている話は

「実は沖縄の空も米軍に支配されているのです。

 飛んでいい高さが決まっているんですよ。

 そのせいで旅客機はものすごく低空飛行をしなくてはいけません。

 ですから沖縄に来る飛行はものすごくむずかしいんですよ。

 騒音もひどいですしね。

 いつまでこの状態が続くんでしょうか。

 東京にいてはここの苦しさってわからないんでしょうね。」

 最後の言葉はたぶん政治家にいったのでしょう。

美術館は基地に食い込む形で建っています。

 というより、美術館だけなのです、美術館の周りに残っているのは。

いつまでこの状態なのでしょうか。たしかに米軍がいないといけないという理由もあるのでしょうが

こんなに広いスペースが必要ともおもえません。

この状態だとやはりいまだにアメリカの支配があるといっても過言ではないでしょう。

「あなたたちの子供がこの美術館に来るときまでに、この美術館の周りには基地がないようにしたいです。」

館長はそう語りました。

 さてさて。次は久米島です。

久米島は人口5,000人ぐらいの沖縄県内の中規模の島です。

空港にもどり、搭乗券とお弁当が渡されました。

このあと一時間ぐらいフリーなのです。

お弁当をたべ、適当に時間をつぶし、少し早めに集合場所へ。

みんなもそんな感じでした。

一人を除いて。











僕がクラス・オブ・遅刻だとすれば、

彼はクラス・オブ・早退。(いつのまにか帰ってしまう)

そう、Yちゃん(♂)がなんと時間になっても集合場所にきませんでした

 そりゃクラスみんなでパニックですよ。

先生たちは大パニック。そりゃそうでしょう。

生徒一人置いて行くことなんかできはしませんがクラスを飛行機に乗せないわけにもいきません。

クラスでも浮いた存在のY。仲がよい友達というものが浮かびません。

比較的仲がよい(同じ中学だった)僕に聞かれましたが、もちろん僕は知りません。

館内放送でYちゃんを呼ぶ事になりました。

すると何処を探してもいなかったYちゃんがやってきました。

飛び立つ10分前ぐらいでした。

結構危なかったのでは、と今考えると思います。


 さて、久米島には中型の旅客機で30分程度。

資料館で館長がはなしていた通り低空飛行です。

その日はとても天気が良かったんです。

広がる景色は自分が本当に日本にいるかどうか疑うぐらいすばらしい物でした。

青い空、エメラルド色の海、広がるさんご礁。

どこかの本で読みました。

沖縄のさんご礁ですらもオニヒトデの被害にあいつつある。

また、人間によって海水がわるくなってさんご礁が弱っている。

信じられませんでした。

そして、海を汚す人が信じられません。

どうか、この海をのこしてください。遠い埼玉から応援しています。




 そんな感動的なフライトはたったの四十分。

すぐに着いてしまいました。

その後、バスに乗って久米島観光。

バスにのってもバスガイドさんが現れません。

とおもったら「このたび○○観光をご利用いただきありがとう御座います」という声がしました。

男の声が

男のバスガイドさんか!?

さがしましたが、姿がありません。

でも、声がします。

とおもったら

バスガイドさんではなくドライバーさんがしゃべっていました

おいおい、いいのかよ。

でも、このドライバーさんのトークは面白かったです。

そんな感じで五枝の松、比屋定バンダ、畳石をまわりました。

ちなみに会長がこんな文を残しています。

「久米島についたこの日、比屋定バンダを筆頭とする素晴らしい自然の数々に触れる事が出来た。埼玉にいたのではこんな自然に触れる機会は皆無に等しいと思う。特に比屋定バンダからみる絶景は良かった。翌日の体験学習(自転車)等もあわせ、南国の自然を満喫できた。機会があればまた行きたい。」

 たしかに絶景でした。

でも記憶が断片的です。

写真が残っている人はこちらまでお願いします。マジで。

ちなみにバンダというものは確か……

……崖だったようなきがします。なんかあったような気もする。

ぜんぜん覚えてねー!!

記憶力ないです、俺。



 そんなこんなで今日止まるホテルに着きました。

ホテル日搬久米アイランド。

けして久米アナウンサーの別荘ではありません

そこではなんと三人部屋なんです、修学旅行だというのに。

普通修学旅行の部屋という物は一クラスまとめて一部屋(ないし二部屋)だと思っていました。

ベッドなんかもってのほか。(スキー林間は除く。)

それが、三人部屋な上にベッドつきトイレもユニットバスもついてました

更にはTVも見放題

修学旅行でTVを見れるとは。

中学校の修学旅行(京都)のとき、許された僅かな時間で

男子そろって「Dr.スランプアラレちゃん」を見たのが懐かしいです。

まあ、いわゆる普通のホテルの部屋です。

二階建ての四角い建物で、それでもあれだけの人が泊まれるという事は

かなりおおきい敷地なのだろう。

ちなみに、僕のルームメイトはキャプテンとさっきでたYちゃん。

部屋番号は127。

え?めずらしい組合せだって?

もちろん残り物三人集ですよ。

もちろん。

HRで部屋割りを決めるとき、少しボーっとしていたら

キャプテンと俺が余ってしまい、しかたなく組む事に

そして、選考会にこなかったYは二つ残った二人部屋のうち

「僕がいるから」という理由でこっちに組み込まれました

そして完成したのが僕らの部屋。

まあ、安眠にはちょうどいいですよ!!(寝相は未確認)

 さて、そんなわけで夕食までひまです。

とりあえず売店で塩せんべいを買って食べました。












そして二週目







そして、三週目








計45枚

牛乳と塩は良く合います。

この後夕食ですが。

そんな事をしながら話をしつつTVをみていたらいつのまにか時間が。



夕食です。

外で食べた記憶があります。肉を食べた記憶があります。

記録では「ビッフェの夕食」と書いてありますが。

なんでしょう、ビッフェって…





 その後、レクリエーションがあるので前半クラスが止まっているイーフビーチホテルへ。

実はこの修学旅行は前半クラス(1〜5)と後半クラス(6〜9」がまったくの別行動をとっているのです。

僕は8組、後半クラスです。

前半クラスは一日目からすでに久米島を回っていて、三日目に本島(糸数壕など)を見学、

四日目の夜に合流します。

後半クラスは二日目から久米島、一日目に本島を周りました。

よって、埼玉〜沖縄間の移動と最後のホテル、この日のレクリエーションしか前半クラスと合いません。

一気に移動すると大人数になってしまうのと、

もしテロに襲われた場合に片方を残すのが目的です。

ちなみにこれは本当らしいですよ、ある先生によると。

旅客機による移動すらも前後分けようかという意見もあったらしい。

しかし「それなら飛行機に乗らないほうがいいという意見が出る」ということでやめたそうです。

まあ、その先生の冗談かもしれませんがね。

とにかく、移動です。徒歩で。

10分ぐらいで着きました。

さて、合同レク。

とりあえず、ビンゴをしました。

リーチになったのに、いつまでたってもその目的の数がこない!!

まあいつものことです。

ちなみに記録では某N君Hさんカップルがディズニーランドパスポートを当てたらしいです。

それに対し「愛を感じた」というコメントがありました。

そういやそんな事もあったなぁ。「額にキス」とかしてたっけ。

そのほか、だれかがお菓子詰め合わせをあてていたような気がします

それから球尾若獅子太鼓の方々のエイサー太鼓(踊り)が披露されました

非常にかっこよい。聞けば僕らと同年代だそうです

僕なんか弓道の演舞が少しできるぐらいなのに。すごいぞ、この人たち。

口笛を吹き、太鼓をたたき、「エイサーサー」といいながら踊りました。

浦○踊りとはレベルが違います

すごい。

どうせならお返しに僕に百手式とかやらせてくれてもいいのに、とか思ったが、(弓道の演舞)

良く考えたら先生も生徒も誰も知りません。あ〜あ、おしかった。

 そして、おやくそく。

プールに飛び込む男達。

盛り上がっていたね。

僕はそんななか、空を見ていました。

その日獅子座流星群がピークで、見えるかもしれないと思ったからです。

でも見れませんでした。でも、夜空はすごい星空でした

ちなみに、前半のクラスのホテルは海に沿って建てられていて、

星空をみながら寝れたらしいです。

僕らは平屋なので、非常に難しいです。

前半クラスの中には流れ星が見れた人もいるらしいですね。




 その後、ホテルへ帰る。

後は予定は寝るだけ。

そこで僕はホテルに帰り、外へ出た。

星空が素晴らしいので見ようと思った。

外はあまり寒くない。

やっぱり星空はすごかった。

僕は原っぱに寝転んだ。寝ながら星空を見た。

浦和ではこの星空は見れないだろう。

そうおもったら星空から目が離せなくなった。

とりあえず、友達に電話した。

感動を誰かに伝えたかった。

でも、そんな事は不可能。見ないと判らない。

仕方ないので雑談をしていた。

沖縄と埼玉という距離の中話ができるという事にちょっと感動した。

のんびり電話をした。

もちろん、星を見ながら。

こういうとき彼女とかいたらうれしいんだろうなぁ…なんて事をちょっとだけ考えた。

恋人と「素晴らしい星空見る」ということを共有する。なんかうらやましいとか思った。

いや、そんな事は関係ない。

星空はひたすらすごかった。

(こんなに感動するのも僕が埼玉という星の見えないところにすんでいるからだけど)




 そんな感じで自分的に満足した時間を過ごしました。

部屋に帰ろうとすると、となりのとなりの部屋がさわがしいのに気づきました。

なんだろうとおもい、その部屋をのぞきました。

すると
























PS2でAV見てました。
皆で。
(いちごみるくさんの)

 …………一応言っておきますが、このAVというのは

アダルトビデオでは決してないですよ!!

皆でAV機器を見ていたんですよ、そう、TVの別名ですって。

そんな、ADULTVIDEOなわけないじゃないですか!!

だって、僕ら当時まだ16歳ですよ!!

法律で買えないと決まっているんですから、見れるわけないですよ!!

犯罪じゃないですか!!

まさか、僕も一緒に見ていたなんて事は絶対ありませんよ!!

一緒にAV機器(TV)を楽しんでいたんですって。














 そんなこんなでAV機器を堪能した後、いいかげん遅いので寝ることにしました。

いいかげん疲れましたしね。

ちなみに、Yちゃんはもう寝てました。

キャプテンも寝ようとしていました。

さて、僕も寝るかな。

ではみなさん、おやすみなさい。

三日目は次の回という事で。

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28:20
カーネル、ベッドから落下!!!!!

 ズドン!!という音とともに105kgの巨体がベッドから落ちました

キャプテンもYももちろん起きました。

キャプテン:「なになに!?どうしたの?」

カーネル:「……すーすー」

……まだ寝てたらしいです。

五秒後、やっと気づいて起きた僕。

カーネル:「…あ…あれ?…あ、落ちたのか…」

キャプテン:「大丈夫?」

カーネル:「あ…ああ。大丈夫。すまんな。」




 ……実はこのカーネル君、ベッドで寝るのは小学生の時以来

その小学生の時というのは、保健室のベッドですし。

ほとんど皆無に等しいといって間違いないです。

そして、疲れて熟睡して、気づかぬうちに寝返りをうっててしまったのでしょう…

ほんと、迷惑なやつです。

100kg以上のやつがベッドから落ちたら相当なエネルギーでしょう

すみませんでした、まじで。

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